Odawara Bungaku Kenkyukai

小田原文学研究会

報告

第4回 小田原文学研究会 特別企画 2025年 秋(11月23日開催)
戌井いぬい昭人あきとトーク&サイン会
-芥川賞落選作家だからこそ分かる川崎長太郎-

第4回は小田原市南町の報徳博物館地階 ホールに70名の参加者が集い開催されました。まず川崎長太郎研究の第一人者で本研究会の運営委員でもある斎藤秀昭氏が「〈証言〉が紡ぐ長太郎文学の60年」と題して、生前の長太郎に関わりを持つ人々の貴重な証言から小田原に息づいている長太郎の人と作品について語りました。

ついでメインゲスト小説家戌井昭人氏が登壇され、氏が川崎長太郎文学と出会ったきっかけ、そしてその生きざまと作品に共感を深めていった経緯を語りました。講演の後半では「私もトタン屋根の小屋で暮らしたことがある…」と自らの体験~屋根を雨がたたく音や鳥が歩き回る音などのすさまじさ、隙間だらけの小屋で味わう冬の冷気など~をパフォーマンスを交えながら語られ、聴衆の眼前に川崎長太郎の執筆生活をイメージ豊かに再現していただきました。

講演後の質疑応答の時間には、今年長太郎の作品集を連続で刊行した「講談社文芸文庫」の編集担当者寺西氏、約一年間戌井氏の小説「おにたろがっぱ」を連載した読売新聞社の前川氏などから発言をいただきました。また当日の会場で新たに2人の長太郎ファンの方が研究会に入会を表明いただくなど、充実した秋の一日となりました。

戌井昭人氏 講演ではパフォーマンスも披露!

対談 左:戌井昭人氏 /右:齋藤秀昭氏

会の後、有志メンバーで川崎長太郎の『小津もの』の舞台となった清風楼(写真)、小屋跡碑などを散策

多士済々の懇親会を終えて

【川崎長太郎歿後四〇年】
 今年二〇二五年は、小田原を代表する作家・川崎長太郎の歿後四〇年に当たります。一般的に長太郎は、娼家の女性たちとの交情を描くことで、私小説としては例外的なブームを引き起こした「抹香町もの」の作家として知られています。しかし、このような紋切り型の理解は、川崎長太郎の全体像を矮小化させてしまう虞もあります。 実際、宮小路の芸者と自分、そして映画監督・小津安二郎との三角関係を描いた「小津もの」や、妻・千代子との日常を描いた「千代子もの(老境もの)」、老舗日本料理店「だるま」等で働く一般女性たちを描いた「女給もの」、戦時下の徴用体験を描いた「父島もの」など、長太郎の作品はバラエティに富んでおり、狭隘な日常ばかりを描いた私小説という先入観から私たちを解放させてくれます。 そんな川崎長太郎の偉大さに魅了された私は、かれこれ一七年くらいその研究に勤しんでおりますが、現代作家・戌井昭人氏の存在を知り、彼こそ川崎長太郎に最も近い存在なのではなかろうか、と思うようになりました。
【川崎長太郎に最も近い男】
 ここでは二〇〇九年に芥川賞候補となった作品「まずいスープ」を例にして、戌井作品と長太郎作品の共鳴を確認してみましょう。突然消息不明となった風変わりな父親に翻弄され続けている家族の物語が、「まずいスープ」という作品です。 戦後の川崎長太郎は専ら小田原を舞台にして作品を創作しましたが、戌井氏の場合は浅草です。今はオーバーツーリズムが問題となり、週末には外国人で溢れる街と化している浅草ですが、市井に生きる庶民、しかもどこか他人を見捨てずにはおけない情に厚い人々の織りなす人間模様といったものを、戌井氏はつぶさに観察して描き出します。魅力ある街を舞台にして、そこに生きる庶民の姿をリアルに描き出すという方向性において、長太郎と戌井氏は完全に一致します。しかし、リアルに描けば描くほど、どこかコミカルな雰囲気も漂い出すのが不思議なところで、それも共通していますね。 また、語り手や主人公がどこか社会からドロップアウトした「自由人」を志向しているところも、実に長太郎的です。世間的なしがらみに囚われて私たちは日々生きていますが、それはあたかも動物園の檻に閉じ込められている動物たち同様と言えます(気を悪くされる方がいましたら、ごめんなさい)。私たち人間は、人工的に社会という「檻」を作り、そこでルールをお互いに守って共生を目指す存在なのですが、「檻」から抜け出して自由の天地を逍遙したい欲望もひっそりと抱いているのではないでしょうか。まさに規格外のアウトサイダーでありながら(「まずいスープ」の父親みたいに大麻を栽培したり拳銃の密輸に関係したりするのは、ちょっと暴走し過ぎですよね……)、しかしどこか憎めない愛すべき人間を、つかず離れずの絶妙な距離感で描き出してみせるのが、戌井昭人の文学なのです。 そしてさらに言えば、戌井作品が街を歩き回る作品である点も見逃せません。なぜなら、それこそが川崎長太郎の創作手法の基本であるからです。小田原の街を歩き続けていた長太郎の姿を目にしたことのある小田原市民は実に多く、研究の一環として八〇歳以上のご高齢の方に話を伺いますと、高い確率で「ああ、話したことはないけど、長さんが歩いている姿は見たことあるよ」という答えが返って来ます。作家は普通机に向かって構想を練るのでしょうが、長太郎の場合は、街を歩くことによって構想が練られるのです。 戌井氏の作品も同様です。訪れた場のフォトエッセイ集『沓が行く。』を刊行していることからも分かるように、どうやら彼は歩いて写真を撮ることが好きでならないようです。その中で目にとまった風物を記憶にとどめ、身体化し、それを作品に活かす姿勢を殊更大事にしている気が致します。だからこそ、「まずいスープ」をはじめとする戌井さんの「浅草もの」を読みますと、浅草という街の風合いやそこに生きる人々の情が、しみじみと「本当のこと」として読者の胸に迫って来るのです。
【川崎長太郎没後四〇年記念イベントの開催】
 さて、川崎長太郎が亡くなった一一月を私たちは今、迎えます。二三日(日・祝)には小田原の報徳博物館で「芥川賞落選作家だからこそ分かる川崎長太郎 作家戌井昭人トーク&サイン会」が開催されます。「芥川賞落選作家でないと長太郎は分からないのか」等と「X」で意地悪を言う御仁もいますが、世俗的な表彰とは縁が薄くとも、ひたすらに文学の道を究めようとして来た作家だからこそ辿り着ける長太郎的境地といったものがあるはずです。そして戌井昭人という作家こそ、それを私たちの前に分かりやすく開示して見せてくれる、掛け替えのない存在なのではないでしょうか。 晩秋の一日、小田原が生み出した類い稀な文学遺産・川崎長太郎について、『神静民報』愛読者の皆さんと共に語り合えるのを心から楽しみにしています。(川崎長太郎研究者)
(再掲:2025年11月8日発行 神静民報『神静文芸』欄より)

ページトップへ戻る